【プレイ感想】金色ラブリッチェ 感想-批評(3/3) 理亜√(GOLDEN TIME) 考察あり
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皆様こんにちは〜(^^♪
【感想-批評】
僧間 理亜(CV:小鳥居 夕花)
私もだいしゅきいいいいいいいいいいいいいい(ry
もはや説明不要でしょう。
シナリオ=理亜の魅力、といっていいほど彼女の成分で詰まっております。
もはや彼女が主人公である。
【シナリオ96点】
作中に幾度となく出てくるシーン。彼女はよくここで「ゴールデンタイムだ」と述べていますが、彼女にとってそれはただこの世ならざる綺麗なものだからということではありません(央路にとってはそうだが…)
屋上でタバコを吸いながら金色を感じるこの時間は、彼女に欠落してしまった感覚である味覚と視覚面において「人間」という生物としての当然の感覚をはっきり感じられるからであり、「生きている」と実感できるから。故にゴールデンタイム。
勿論、シルヴィと央路と再会できたことに対する意味でもあると思います。
感想などを徘徊していると結構勘違いされていたのでまず指摘しておきます。
『理亜の行動原理』
(「いらない子はいない」というポスターに疑問を感じる理亜。彼女の行動原理を語る上ではかなりの情報量を含んでいる。)
彼女はこの「この世に必要のない。誰のためにもならない子」という定義付けに全力で抵抗している。いらない子扱いしなかった2人への恩返し以上にこのことがシルヴィと央路のために身を粉にして奮闘している原因のひとつです。故に作中で2人をくっつけた後、シルヴィと央路に約束を果たしてもらうことによって自分の存在を肯定化、意義化しようとしています。はたからみれば理亜は自己犠牲で行動しているように見えますが、彼女にとってはこれが人生をかけた命題であり、100%シルヴィと央路のためだけに動いているわけではありません。シルヴィと央路が知り得ない、理亜の胸の中だけの信念です。これを念頭に置いとかないと、本作をかなりミスリードしてしまうので気づかなかった方はもう一周してほしい。
『理亜の死生観』
ラム酒の考察「死生観と人生」
人間というのは、「死」に帰結する生き物です。
1+1=2 であるように「=(イコール)」とは複数の数字が足すなり引くなりして関連し作用したものの結末を表します。たとえ変化する前のものであっても「1+1」は「2」ということならば1+1=2は2=2ですよね。B=Aならば当然A=Aです。故に数学的に見ると「=」の前後は同等(トートロジー)の意であります。
これを人間に当てはめると
生者+人生=死者
という公式が成り立つとも言えます。生者は人生という名の経験という過程を経て、最後に死者になります。
ですが、これは先ほどの1+1=2とは同等ではありません。
なぜなら2-1=1のように死者-人生=生者とはならないからです。
どれだけ死者に人生を引いても、死者が生者に成りうることはありません。
しかし、死者とは生者が経験を経た最後の姿です。(死者=生者+人生は当然成り立つ。)
なにが言いたいのか。
先ほどの公式が成り立たないのは、人生という詳細に定義付けできないものが公式に含まれているからです。人生は人それぞれであり、数字のように「こうだ」と決められているものではありませんよね。
「死」は人間に平等に与えられたものですが、人生とは「生きてる」「死んだ」のように一言で言い表すことは不可能です(生と死は「事実」に過ぎない)。故に定義付けできません。
人生には公式のように規則性など存在せず、普遍のものではないのです。
「死」を聖なるものとして顕現させ、それは感動できるものだとして価値付けしようとするのは、人類がみなそこへ到ってしまうことを知っているからです。だから「死」を神聖なものにしたいんでしょう。少しでも自分の「死」に意味があるものにするために。
平等に訪れる「死」を、感動するものとするようなお涙頂戴的なイベントにするのは些か問題があるのかもしれません。
「死んだ」ではなく、「どんな人生だったか」が重要なのです。きっとそれは「死んだ」のような一言で済ますことができない、素晴らしく美しいものだと思います。
自らが「死者」だと自覚することはできませんが、「人生」を自覚できるのは他人ではなく自分です。
故に「人生とは自分のものであり、人生とは自らが幸福になるためにある」のだと私は思います。
…無茶苦茶だけど、理解していただける方が一人でもいれば幸いです。
『カッコつける』
理亜の人生がこの一文に詰まっています。
ここではあまり多くは語られていませんが、共通√にて彼女の持論が展開されています。
絢華を弁護する理亜。
突然見栄を張るをカッコいいに変換していることからも彼女の意志を感じますね。
『金色』
プロローグにて、
「金色――。何者にも侵されない、無垢な輝き。一片の曇りもない。そんな存在でいたかっただけ」
「何物にも恥じない。そんな時を歩みたかっただけ」
その結果野球部と吹奏楽部も守れず、彼は後悔する。カッコつけることが怖くなり、カッコつけてる人を憎み始めた(絢華が該当)
カッコよくあろうとすることを「金色でいようとすること」と結論づけた。つまり理亜ルートにおける過去の肯定を表しています。
唯一、彼が自分の力で結論に至ったルートということになりますね。
『ラム酒、ついに泣き崩れる』
突然亡くなる理亜。「理亜の死」にプレイヤーが嘆く暇も与えず理亜母との会話につながる。「死」に意味を与えるのではなく、「生きていた時間」に焦点を当てるという意図的な構成。ちなみに理亜を「死者」「亡き者」として扱ったのはこの2クリック分のみ。
今作で一番好きなシーンです。
もうね…央路くん最高です。
こんなにも人間らしい主人公初めてです。
央路は「カッコいい」の意味をシルヴィから既に教わっているはずなんですよね。
答えは得ていた。それでも聞かずにはいられなかった。
無意味とわかっていても、尋ねずにはいられなかった。
自分はカッコよく輝けていたか
金色でいられたか
彼ほど感情移入できる素晴らしい主人公はいないでしょう。
『約束』
第2の涙腺崩壊ポイントでした。
めでたしめでたしですか…ズルいですね本当に。
シルヴィ√では2人がくっついたことでめでたしでした。シルヴィ√と違うところは2人が子供をつくってめでたしということ。彼女が役割を終えて終了じゃない。きちんと自分のいた証を残してめでたしとしているのが、シルヴィ√と理亜√の差ですね(命題の解決)
理亜はどこまでいってもカッコつけるのをやめなかった。おそらくシルヴィと央路にはそう感じたと思います。
しかし理亜にしてみれば、2人の幸せを望んでいたのは確かですが、央路と子供を作ってマリアと名付けてもらうという、ちゃっかり代価を頂いていこうとしているのが本当に彼女らしいです。
最後の最後まで理亜を「死者」として描こうとしなかった、さかき傘先生には感銘を受ける以外になかったです。
ジト目たまらん(*´Д`)ハァハァ
初めてメインヒロイン全員が対象のSD絵が出てた時は心の底から安心しました( ;∀;)
今作の悪い点を敢えて言えば、SD絵がエルに偏りすぎていることと、理亜が少ないことでしょうか。
CGは比較的安定していた印象。
【総合 95点】
シルヴィア・ル・クルスクラウン・ソルティレージュ・シスア(CV:猫村ゆき)
理亜√(GOLDEN TIME)ED後に開放される追加エピローグ。
理亜√で語られたあのマリアが産まれている。苗字がどちらになっているのかは不明。
理亜との約束を無事果たしたことになるが、シルヴィ√の理亜はあくまでシルヴィと央路がくっつくことで満足し、めでたしとしているので、少々錯誤がある。しかし理亜的には報われた形であることに違いはない。
おそらくシルヴィ√のその後であり、理亜√の後の2人ではなさそう(マリアがシルヴィと央路がダンスしている夢をみているため)
この追加エピローグ後にEXTRAで解放される例のCGについては敢えて言及しません。