落単大学生のエロゲにっき

プレイしたエロゲの感想(批評)を一般論に縛られず楽しく述べます♪(ツイッター→@lambsake)

【プレイ感想】金色ラブリッチェ 感想-批評(3/3) 理亜√(GOLDEN TIME) 考察あり

(本ブログを初めてご覧になった方はまずこちらをどうぞ)

lamsakeerog.hatenadiary.jp 

f:id:lamsakeerog:20180128221954p:plain

皆様こんにちは〜(^^♪

大学のテスト時間割を間違えて見事に落単したラム酒です...辛いなぁ..
今回は皆様お待ちかね(?)の理亜√(GOLDEN TIME)の感想記事になります。
そこで注意をば
未プレイで購入予定のある方、およびオールクリアされていない方は本記事をご覧になることをおすすめできません。多量のネタバレを含んでおります。
以上の2点に該当する方々はブラウザバック推奨です。
 
※本記事は第3部でございます。
第1部はこちら↓

lamsakeerog.hatenadiary.jp

 

第2部はこちら↓

lamsakeerog.hatenadiary.jp

 

 


感想-批評

 
※あらすじは省略させていただきます。

僧間  理亜(CV:小鳥居 夕花)

f:id:lamsakeerog:20180127125921p:plain

【キャラ 96点】

f:id:lamsakeerog:20180127130255p:plain

もだいしゅきいいいいいいいいいいいいいい(ry

もはや説明不要でしょう。

シナリオ=理亜の魅力、といっていいほど彼女の成分で詰まっております。

もはや彼女が主人公である。

 

 【シナリオ96点】

※長文失礼します
ついにたどり着いた最終√。テーマは「死生観」
これまでの√とは全く異なった雰囲気で物語が展開されます。
特徴なのは主人公がかなり俯瞰的な立場にあったことでしょうか。ひたすらに理亜の生き様に焦点を当てたルートですが、それでも満足のいかなかった方はほとんどおられないはず。理亜推しの方にはちょっと複雑でしょうか。
 
 
『勘違いされがちな理亜のゴールデンタイム』

f:id:lamsakeerog:20180127132919p:plain

作中に幾度となく出てくるシーン。彼女はよくここで「ゴールデンタイムだ」と述べていますが、彼女にとってそれはただこの世ならざる綺麗なものだからということではありません(央路にとってはそうだが…)

屋上でタバコを吸いながら金色を感じるこの時間は、彼女に欠落してしまった感覚である味覚と視覚面において「人間」という生物としての当然の感覚をはっきり感じられるからであり、「生きている」と実感できるから。故にゴールデンタイム。

勿論、シルヴィと央路と再会できたことに対する意味でもあると思います。

感想などを徘徊していると結構勘違いされていたのでまず指摘しておきます。

 

『理亜の行動原理』

f:id:lamsakeerog:20180127130956p:plain

f:id:lamsakeerog:20180127131007p:plain

(「いらない子はいない」というポスターに疑問を感じる理亜。彼女の行動原理を語る上ではかなりの情報量を含んでいる。)

彼女はこの「この世に必要のない。誰のためにもならない子」という定義付けに全力で抵抗している。いらない子扱いしなかった2人への恩返し以上にこのことがシルヴィと央路のために身を粉にして奮闘している原因のひとつです。故に作中で2人をくっつけた後、シルヴィと央路に約束を果たしてもらうことによって自分の存在を肯定化、意義化しようとしています。はたからみれば理亜は自己犠牲で行動しているように見えますが、彼女にとってはこれが人生をかけた命題であり、100%シルヴィと央路のためだけに動いているわけではありません。シルヴィと央路が知り得ない、理亜の胸の中だけの信念です。これを念頭に置いとかないと、本作をかなりミスリードしてしまうので気づかなかった方はもう一周してほしい。 

 

『理亜の死生観』

f:id:lamsakeerog:20180127223109p:plain

f:id:lamsakeerog:20180127223131p:plain

(理亜の死生観がよく表れているシーン。常に必死に生きている彼女の「生」に対する強い意味付けを感じる)
「死」によって物語を終えることを嫌悪する理亜とさかき傘先生。とりあえずこのシーン見たら、「ん?」となるのは当然でしょう。こんなものをシナリオに組み込んだら、理亜の「死」で終われなくなってしまいます。もしそうなら自分で自分のシナリオを批判することになってしまいます。
続きは『理亜の死』で。
 
ラム酒の考察「死生観と人生」

f:id:lamsakeerog:20180127143313p:plain

人間というのは、「」に帰結する生き物です。

1+1=2 であるように「=(イコール)」とは複数の数字が足すなり引くなりして関連し作用したものの結末を表します。たとえ変化する前のものであっても「1+1」は「2」ということならば1+1=22=2ですよね。B=Aならば当然A=Aです。故に数学的に見ると「=」の前後は同等(トートロジー)の意であります。

これを人間に当てはめると

生者+人生=死者

という公式が成り立つとも言えます。生者は人生という名の経験という過程を経て、最後に死者になります。

ですが、これは先ほどの1+1=2とは同等ではありません。

なぜなら2-1=1のように死者-人生=生者とはならないからです。

どれだけ死者に人生を引いても、死者が生者に成りうることはありません。

しかし、死者とは生者が経験を経た最後の姿です。(死者=生者+人生は当然成り立つ。)

なにが言いたいのか。

先ほどの公式が成り立たないのは、人生という詳細に定義付けできないものが公式に含まれているからです。人生は人それぞれであり、数字のように「こうだ」と決められているものではありませんよね。

「死」は人間に平等に与えられたものですが、人生とは「生きてる」「死んだ」のように一言で言い表すことは不可能です(生と死は「事実」に過ぎない)。故に定義付けできません。

人生には公式のように規則性など存在せず、普遍のものではないのです。

 

「死」を聖なるものとして顕現させ、それは感動できるものだとして価値付けしようとするのは、人類がみなそこへ到ってしまうことを知っているからです。だから「死」を神聖なものにしたいんでしょう。少しでも自分の「死」に意味があるものにするために。

平等に訪れる「死」を、感動するものとするようなお涙頂戴的なイベントにするのは些か問題があるのかもしれません。

「死んだ」ではなく、「どんな人生だったか」が重要なのです。きっとそれは「死んだ」のような一言で済ますことができない、素晴らしく美しいものだと思います。

自らが「死者」だと自覚することはできませんが、「人生」を自覚できるのは他人ではなく自分です。

故に「人生とは自分のものであり、人生とは自らが幸福になるためにある」のだと私は思います。

 

…無茶苦茶だけど、理解していただける方が一人でもいれば幸いです。

 

  

『カッコつける』

f:id:lamsakeerog:20180127210953p:plain

理亜の人生がこの一文に詰まっています。

ここではあまり多くは語られていませんが、共通√にて彼女の持論が展開されています。

f:id:lamsakeerog:20180128190253p:plainf:id:lamsakeerog:20180128190301p:plain

絢華を弁護する理亜。

f:id:lamsakeerog:20180128190926p:plain

突然見栄を張るをカッコいいに変換していることからも彼女の意志を感じますね。

 

『金色』

f:id:lamsakeerog:20180128194352p:plain

プロローグにて、

「金色――。何者にも侵されない、無垢な輝き。一片の曇りもない。そんな存在でいたかっただけ」

「何物にも恥じない。そんな時を歩みたかっただけ」

その結果野球部と吹奏楽部も守れず、彼は後悔する。カッコつけることが怖くなり、カッコつけてる人を憎み始めた(絢華が該当)

カッコよくあろうとすることを「金色でいようとすること」と結論づけた。つまり理亜ルートにおける過去の肯定を表しています。

唯一、彼が自分の力で結論に至ったルートということになりますね。

 

 

ラム酒、ついに泣き崩れる』

f:id:lamsakeerog:20180127163353p:plain

ここで涙腺崩壊。いや理亜云々よりもこの展開が意外というかキュロちゃんを完全に忘れてました。シナリオ構成に泣かされたというか、「マジか…ここでキュロちゃんかよぉ…‼」って感じで涙が出てきました。正直キュロちゃんっている意味あるのかとか考えていた自分が恥ずかしい(*ノωノ)キャー
屋上のドアを破壊した後は「俺の出番はここまでだ」と言わんばかりの空気化するキュロちゃんマジ漢。なんだかんだシルヴィ(キュロ)に助けられるところも彼女のこの作品における重要性や必要性みたいなものを感じました。
 
 
『理亜の死』

f:id:lamsakeerog:20180128192935p:plain 突然亡くなる理亜。「理亜の死」にプレイヤーが嘆く暇も与えず理亜母との会話につながる。「死」に意味を与えるのではなく、「生きていた時間」に焦点を当てるという意図的な構成。ちなみに理亜を「死者」「亡き者」として扱ったのはこの2クリック分のみ。

 
 
『俺、カッコよかったか?』

f:id:lamsakeerog:20180128181953p:plainf:id:lamsakeerog:20180128182107p:plain

今作で一番好きなシーンです。

もうね…央路くん最高です。

こんなにも人間らしい主人公初めてです。

央路は「カッコいい」の意味をシルヴィから既に教わっているはずなんですよね。

f:id:lamsakeerog:20180128182407p:plainf:id:lamsakeerog:20180128182517p:plain

答えは得ていた。それでも聞かずにはいられなかった。

無意味とわかっていても、尋ねずにはいられなかった。

自分はカッコよく輝けていたか

金色でいられたか

彼ほど感情移入できる素晴らしい主人公はいないでしょう。

 

『約束』

f:id:lamsakeerog:20180127201819p:plain

f:id:lamsakeerog:20180127202536p:plain

第2の涙腺崩壊ポイントでした。

めでたしめでたしですか…ズルいですね本当に。

シルヴィ√では2人がくっついたことでめでたしでした。シルヴィ√と違うところは2人が子供をつくってめでたしということ。彼女が役割を終えて終了じゃない。きちんと自分のいた証を残してめでたしとしているのが、シルヴィ√と理亜√の差ですね(命題の解決)

理亜はどこまでいってもカッコつけるのをやめなかった。おそらくシルヴィと央路にはそう感じたと思います。

しかし理亜にしてみれば、2人の幸せを望んでいたのは確かですが、央路と子供を作ってマリアと名付けてもらうという、ちゃっかり代価を頂いていこうとしているのが本当に彼女らしいです。

 

最後の最後まで理亜を「死者」として描こうとしなかった、さかき傘先生には感銘を受ける以外になかったです。

最高のシナリオでした。
 
【CG・立ち絵・SD 90点】

f:id:lamsakeerog:20180127195821p:plainジト目たまらん(*´Д`)ハァハァ

初めてメインヒロイン全員が対象のSD絵が出てた時は心の底から安心しました( ;∀;)

今作の悪い点を敢えて言えば、SD絵がエルに偏りすぎていることと、理亜が少ないことでしょうか。

CGは比較的安定していた印象。

 

【総合 95点】
最後本気出す系シナリオ、いつものサガプラ。
ただ従来と異なっているのは、何度も述べたようにこちらに問いかけてくるものがあったこと。シナリオライターの意見や主張がたびたび垣間見え、正しい意味で「作品」にしようという心意気を感じました。
こういう作品がサガプラネッツという大手メーカーから出たのがとにかく嬉しかったです。これからこの「エロゲ」というジャンルの世界に飛び込もうとしている方々に、エロゲとはラノベやお堅い小説では表現できない素晴らしいものを持っていると実感させたことでしょう。
エロゲは人生とはよく言ったものですね。本当に。
 
 

シルヴィア・ル・クルスクラウン・ソルティレージュ・シスア(CV:猫村ゆき)

f:id:lamsakeerog:20180128204722p:plain

理亜√(GOLDEN TIME)ED後に開放される追加エピローグ。

理亜√で語られたあのマリアが産まれている。苗字がどちらになっているのかは不明。

理亜との約束を無事果たしたことになるが、シルヴィ√の理亜はあくまでシルヴィと央路がくっつくことで満足し、めでたしとしているので、少々錯誤がある。しかし理亜的には報われた形であることに違いはない。

おそらくシルヴィ√のその後であり、理亜√の後の2人ではなさそう(マリアがシルヴィと央路がダンスしている夢をみているため)

この追加エピローグ後にEXTRAで解放される例のCGについては敢えて言及しません。

 

ラム酒の本作への感想批判

理亜√を終えて、しばらくロスというものになっていました。
その間SNSや某批評空間にて様々な方々の感想を拝見させて頂きました。その中で気になった...いえ、はっきり申せば気に障ったフレーズがよく述べられていました。
「でもやっぱ最後はハッピーエンドがよかったなぁ...」という…
所謂ビターエンドということですかね...
こういう感想が非常に多かったです。
ビターエンドですか...本当にそうなのでしょうか?
少し語らせて頂きます。
そもそも皆様の思い描くハッピー、幸せってなんでしょう。 
主人公とヒロインが結ばれて末長く暮らしていくことだけが本当に「幸福」の形なのでしょうか。
それは非常に盲目的になっていると言わざるを得ません。ハッピーエンドの定義が狭まりすぎてませんか?
大好きな央路に見守られ、過ごすことができた理亜が本当に「幸福」ではなかったんでしょうか。
シルヴィとの約束を果たすことができた理亜が「幸福」ではなかった...?
理亜はそもそも何を望んでいたのでしょう。シルヴィと央路に幸せになって欲しかったはずですよね。
 
このシーンを覚えているでしょうか...

f:id:lamsakeerog:20180127155827p:plain

「死」によって物語を終えることを嫌悪していた理亜。
つまりシナリオライターのさかき傘先生は「死」によって物語を終えるつもりがないことの証左であることは明白です。

f:id:lamsakeerog:20180127155639p:plain

現に理亜の死はかなりあっさり書かれています。これは流石に意図的でしょう。言うまでもありませんが「死」を感動的に描いていませんよね。
最後にヒロインが死んでしまったからという理由でハッピーエンドではないという見解は間違いであり、明らかにシナリオを読みこめていないことになります。そもそもそこに着地していないのですからエンドも何もありません。考察で述べたとおり、「死」に観念を置きすぎです。
正しく作品を理解することが絶対とは申しませんが、シナリオ全体でライターさんが何を言いたいのか、訴えたいのかの2点はきちんと押さえた上で感想を述べてほしいと思いました。
 
 

 「いいエロゲ(キャラゲー)ってなに?」

エロゲっていうのは勿論「エロ」そして「萌え」が何よりも重要でありますが、同時に読み物であり「文学」でもあります。
昨今はそれが非常に盲目的になっている印象です。
故にエロゲ業界は衰退したなんて吹聴されることになります。
頭使わず楽しむだけで満足できる作品が増えてしまっているんですから当然です。ラノベでやれと言えてしまう作品が多すぎます。抜きゲは別ですが。
どこのゆずソフトとは言いませんが、「萌え」と「エロ」で塗り固めた作品は万人受けするのでしょう。ですがそれはもはや「作品」と言えるものなのかは一考すべきです。
そういう作品は「商品」としては一流なのかもしれませんが、「作品」としては二流以下でしょう。
逆に私から言わせれば、世間で名作だの傑作だの言われてる作品もエロゲとしての必要な要素である「萌え」と「エロ」が無くて(または足りなくて)、「シナリオ」だけが良い作品もかなり多い気がします。
この2つ、あるいは3つの要素を十分に満たしている作品というのはもの凄く限られています。
それらを満たしているものこそ真の意味で「エロゲ」であり「作品」であるのしょう。
今回執筆させて頂いた「金色ラブリッチェ」はこれらを高水準で満たしていると感じました。
 
娯楽に何マジになってるんだって自分でも思います。
それでも安くはない金額を払って購入しているのですから、単に「商品」としての価値だけで終わらせたくないと思うのは傲慢でしょうか。
 
 
 
ゆずソフトのメーカー名まで出して批判するってことは、ゆずソフトの新作買わないのかって?
買いますよ?ええ。
RIDDLE JOKER
3月30日(金)発売予定!
いますぐ予約しに行こう!()
 

【総評】

金色ラブリッチェ最大の特徴。
ヒロインが主人公に作用する物語であること。
理亜とシルヴィを通して、央路が成長し、プレイヤーが考えさせられる物語でした。
央路とともに考えさせられるのは非常に心地よく、プレイヤーが置いてけぼりになりにくかったので、とてもよかったです。
先ほど述べたように「萌え」と「エロ」「シナリオ」の要素を十分に満たしている作品です。故に、このゲームを最も「エロゲ」していると評価しています。間違いなく2017年度最高傑作であり、私にとってはベストエロゲでございます。
おそらくこの評価はしばらく塗り替えられることはないでしょう。
人生観すら変える素晴らしい作品でした。
 

【おわりに】

とりあえずお疲れさまでした。
今回執筆させていただいた「金色ラブリッチェ感想記事全3部」は合計で20000字を超え、もう少しで卒論レベルの文字数となってしまいました( ゚Д゚)
正直自分でもこんなに書けるものだとは思いませんでしたよ笑
そして何より…アクセス数が…ね( ;∀;)
なんと第2部公開時期から4倍になっていることに心の底から驚愕しております。
こんなにも沢山の方に見られることが叶ったとなると、全ルート3周したのも報われる気分です(T_T)
勿論、10割私の実力ではなく、「金色ラブリッチェ」という大きな作品の恩恵であることを忘れてはなりませんね。
それでも。私の記事がお気に召した方がほんの少しでもおられるなら、これからもたくさんの記事を書いていきますのでどうかよろしくお願いします。
 
今回の記事はこれにて終了となります。
ここまでご覧になって頂いた皆様、そして私()、本当にお疲れ様でした!
次回の記事は未定です。
一応案としてはノラと皇女と野良猫ハート」「景の海のアペイリア」「サクラノ詩」「素晴らしき日々~不連続存在~」が候補となっております。
後者2つに関しましては、若輩者の私には荷が重すぎるほどの名作ですので記事を出すかは、要検討とさせていただきます。 ご要望があれば、できる限り執筆しようと思います。
 
 
質問やご意見、感想やこうしてほしいなどのご要望があればコメントもしくはTwitter→@lambsakeのDⅯまでどうぞ
またたくさんのフォローをお待ちしておりますm(_ _)m
  
div id="page-top">